他者との比較は悪なのか?

日常ノート

学生の頃、祖父母の家でSMAPの歌う『世界に一つだけの花』を初めて聞いた時、
(なんていい歌なんだ)
と感動したことは今でも覚えています。
当時は「ゆとり教育」の全盛期でした。
(この曲がゆとりの歌と言いたいわけではないです。)

 

そして現在「他者と比較しない生き方」という考えが一般化し、比較をすることは間違っているかのような扱いを受けている場面が多々あります。
しかしそれは本当に正しい考え方なのでしょうか。
この記事では私が思う、他者との比較について書いています。

他者との比較が間違いかどうかは場合による

結論から言うと、それは同じ場面でも比較の仕方によります。

  • ポジティブな比較の場合
  • ネガティブな比較の場合

の2つに分けられます。

【具体例】同じシチュエーションでも比較の仕方によって意味は異なる

早速具体例をみてみましょう。
2つに分けられると言いましたが、想定する場面は1つだけです。
私は10年ほどの営業職の経験があります。
自分が想像しやすいので今回はそれを例にしてみますね。

 

「具体例」営業のお仕事の場合

【状況】
自分はいつも営業成績が2位以下なのに、後輩のAさんはいつもダントツの1位。
上司からはいつもそのことでネチネチ言われている。

【ポジティブな比較の場合】
Aさんはすごいな。いつも営業成績が優秀だ。
俺も頑張っているつもりだけど、時間の使い方や事前準備なんかがまだまだなのかな。
普段の彼の行動や振る舞いから、何かヒントが得られないだろうか。
後輩相手で恥ずかしいけど、いっそのことAさんに相談してみようかなあ・・・。

【ネガティブな比較の場合】
まだ上司に詰められた・・・。
Aのエリアには金持ちが多いんだから、成績が上がるのは当然だろ。
エリアを取り替えてくれれば俺だってあれくらいやってみせるさ。
アイツは俺と違って家柄もスタイルも顔もいい、さぞ客ウケもいいんだろう。
持って生まれたものが違うんだよ。

 

・・・少し極端な比較に思えるでしょうか?
分かりやすいように多少はそうしたつもりですが、現実にはこういった思考が世に蔓延まんえんしているのではないでしょうか。

まとめると次のようになります。

【ポジティブな比較の場合】

  • 現状を受け入れている
  • Aさんを「ベンチマーク」としてとらえ、自身を成長させようと考えている

【ネガティブな比較の場合】

  • 現状が受け入れられず、「たられば」思考
  • Aさんを「目の上のたんこぶ」としてのみとらえている

 

おそらく一般的には後者の場合の比較をやめようと言っているのだと思います。
なんでもごちゃまぜにして考える人が、「比較=悪」ととらえるのではないでしょうか。
(色々な考え方があるので、この限りとは言い切れません)

生まれ持ったハンデは確かに存在する

東大生の生家の世帯年収は6割が950万円を超えている

2018年度に東京大学が実施した「学生生活実態調査」によるとこういった結果になったそうです。
ちなみに同年度の「国民生活基礎調査」(厚労省実施)によると、世帯年収の平均額は約550万円で、900万円以上はたったの16.1%という結果。
そもそものスタートラインが違うんですねえ。
これに対して努力の差だとか、低年収の家庭出身の東大生もいるとか言って否定するのは無理がありますよね。

アリーナ
アリーナ

950万円って微妙な数字だよね。

800万円とかにしたらもっと割合が増えるから、避けてるのかな?

親ガチャという言葉が流行る理由も分かる気がします。

マルベリー
マルベリー

親ガチャを否定するのは所詮恵まれた環境にいる連中なんだよ!!!

当たり前のレベルが違うんだよ!

アリーナ
アリーナ

そうとは限らないだろ・・・

(気持ちは分かるが)

その他のハンデ

それ以外にも出身地、病気、虐待、性別、外見、身長など・・・
挙げればもっとあるでしょうが、生まれつきのハンディキャップは確実に存在します。

マルベリー
マルベリー

近所に牛丼屋やイ〇ンがある場所が田舎だと!?

本物の田舎をめるんじゃねえええええええ!!!!!

アリーナ
アリーナ

お、おい、落ち着けよ・・・

ただし、不満を言っても何も変わらない

悲しいですが、これが現実です。
ハンデは確かに存在します。
到底納得などできないでしょう。
でも、それに不満を言っても現実は1ミリも変わらないのです。
きっとみなさんもそれは痛いくらい分かっていると思います。
でも思わずにはいられない。

私はそんな気持ちを否定するつもりはありません。
ですが、ねたそねみの感情、世の中の理不尽に十分苦しんだら、受け入れて行動を起こしましょう。
そうすることでしか前に進むことはできないからです。

まとめ

最後は一気に重い話になってしまいました。
ただ、他者との理不尽な差を比較し、怒りや悲しみを覚えることは悪くないと、私は思っています。
いつか受け入れて前に進むしかないと、きっとみなさんは気付くはずですから。
そうなったら、間違いなく今より強い自分になれるはずです。

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