38歳童貞の初恋──割れたお椀と俺の初恋(中編)

人生の記録

彼女に連絡先を聞いたあの夜から、俺の世界は少しだけ光を帯び始めた。

既婚女性であることは最初からわかっていた。
それでも、彼女をどうにかしたいとか、奪いたいとか、そんなふうに思ったことは一度もない。

ただ、好きだった。

彼女の声が、言葉が、笑い方が――俺を生かしてくれるような癒しだった

LINEを通じてつながっているだけで、心のどこかが満たされていく気がした

あの頃の俺は、人生で一番幸せな時間を過ごしていたと思う。

※前編をまだ読んでいない方はこちらから
👉 38歳童貞の初恋──割れたお椀と俺の初恋(前編)

Yとの交流の日々

近づく距離

それからの日々は楽しかった。

俺は彼女にチェックアウトの情報をメインに送りつつも、
一緒に「よろしくお願いします」のスタンプを送ったりした。

彼女から「了解!」のハートのついたスタンプが返ってくると、それだけで癒された。
そしてハートの意味を深読みしてにやついていた。

だんだん慣れてくると、

今日は寒いんで無理しないでくださいね。

といった余計なお世話を送ったりもした。

さらに俺は、備品の補充や中抜けの休憩時間などを利用して、清掃中のYに直接会いに行くようになっていった。
仕事の会話やDの悪口が主な内容だったが、それでも彼女の笑顔がうれしかった

また、清掃終了後の客室チェックなども買って出て、彼女から感謝のLINEも届くようなっていた。

時々、飲み物やお菓子を差し入れして、反対にお返しをもらったりもした。

・・・これは業務上のやりとり、そう思っていても、顔がほころんだ。

変わりたくて買った、フレックスベル

俺は彼女に夢中だった。
マンガの世界なら、間違いなく目がハートになっていただろう。

寝ても覚めても彼女のことばかり考えていた。

その頃、俺は金に余裕がなかったものの、以前から気になっていたフレックスベル(可変式ダンベル)を2つ購入し、体を鍛え始めた。

Yに好かれたい。
俺はとにかく変わりたかった。

余談だが、最終的に2つのダンベルはしばらくホコリをかぶることになる。
だがこの記事を執筆中の41歳の俺は、それを再び両手に握っている。

改めて、彼女との出会いが俺の人生を大きく動かしたと強く感じている。

激化するYとDの対立

前編でも触れたが、年末の一件以来、DはYに対しての対応が厳しめになっていた
彼は50代の体育会系で、機嫌が悪い時は俺も何度か、理不尽に怒鳴られたりしたことがある。

そんなある日、Yから、Dから蹴るマネをされたと聞いた。
どうやらさっさと移動しろというジェスチャーだったようだが、俺は許せなかった

どんな立場でも、そんな態度が許されていいはずがない。
はだかの王様もいいところだ。

だけど……俺は結局、何もできなかった
面と向かって抗議する度胸なんて、なかった。

「気にしなくていいよ」
Yはそう言ったけれど、本当はどうだったんだろうか。

守ってあげたい。そう思っていたはずなのに、俺は何一つ、彼女の盾にはなれなかった。

彼女が見せた仮面の裏

Dに愛想笑いを浮かべつつ、彼をネタにYとの交流を深める。

そんな日々を送っていた頃、Yが妙なLINEを送ってきた

おだてても何も出ませんよ☺
知らないなら尚更気を付けてくださいね😂
そのうち、気分を悪くさせてしまうかもしれませんので…

多重人格は忙しいです(笑)
ま、もとは大人しいのでつまらない人間ですよ(笑)

今日も1日お疲れ様でした🙇‍♀️

彼女はしょっちゅう自分のことを「鬼」と表現したり、「口が悪い」と自虐気味なメッセージを送ってきていた。

この日も俺が、

私はYさんが毒舌だとか、口が悪いなどと思ったことは一度もありません。

それどころか、これほど丁寧な日本語を使いこなす方にそう出会ったことはありません。

文字もかなり綺麗ですし✨

と返信した直後だった。

いつもならそれで終わるのに、今日は違った。
その俺のメッセージにかぶせるような形でさらに返信してきたのだ。


普段は彼女が防衛ラインを引いているのかと思っていたが、なんだか今日はそれとも違う。

・・・このメッセージの意味、41歳になった今の俺ならわかる気がする。
彼女は俺に自分の弱さを見せていたんだ。
そして俺に理解してほしかった。

彼女は実際に会うときと、LINEで会話するときとはまるで別人だった。
LINEの彼女からはどこかしおらしい印象を受けていた。

彼女が言った多重人格の意味、それは多くの仮面(ペルソナ)を使い分けている自分を表す、比喩表現だったんだろう

妻として
母として
職場の同僚として
友人として
そして一人の女性として――

それぞれの役割に合わせて、彼女は違う“人格”を演じていたのかもしれない。

そしてその中で疲弊していた

彼女の言葉を借りるなら、職場以外の別の人格でも当然苦労していたはずだ。
たとえば現に彼女の長男は、当時高校3年生の2月。
息子の進路についても頭を悩ませていたのかも知れない。

それに加えてのDの存在だ。

・・・いや、もしかしたら俺の存在も

彼女はもう――限界だったのかもしれない

だけど人に弱みを見せられる人間ではなかった。

・・・当時の俺は、全く気付いてあげることができなかった
それどころか彼女の返信に喜びつつ、本当に多重人格なのかと焦っていた、ただのバカだった。

だが幸か不幸か――このあと、俺たちはDの排除のために本格的に動き出すことになる
あのLINEが、俺の背中を押したのかどうかはわからない。
でもあの夜、何かが確かに動いた気がした。

支配人Dの追放

料理長への相談・告発

その頃の俺は料理長に、Dの行き過ぎた行動について相談するようになっていた。

料理長は歴が長く、Yや他の清掃メンバーとも親しくしており、本社にいる社長や専務とも距離が近かった。
仕事には厳しかったが、俺にも優しく接してくれていた。

彼は俺の話を聞くと、明らかにいら立った様子だった
「ワイがさりげなく専務に伝えるわ。でも、人手不足だからどうなるか分からんで?」

保険を掛けるような発言に不安だった俺は、もう一つ料理長に吹き込んだ。

それは、彼の事務作業のずさんさだった。

詳細は伏せるが、それは全国旅行支援に関する重要な事務処理のミスだった。
俺は、その事実を料理長に伝えた。

フロント係で内々に処理していた事案だったが、いずれ報告しないと大変な事実だと思っていた俺は、この機会に告発したのだ。

その事実は、Dの足元を大きく揺るがすものだった

ご注意

その事務作業については後日適切に対処し、解決済みです。

Dの退場、そして束の間の平穏

それからの俺は、料理長に進捗を確認しつつ、普段通りに業務に当たっていた。
そしてヒーローを気取りながら、Yと接していた。

――そしてついにその決定が下された。

Dは専務の怒りを買い、降格の上、よその旅館に配置換えをされることになった。
ちなみに補充は無し。
近隣の旅館の支配人がかけもちで管理をすることになった。

Dは荒れていた。
「もうやめてやる」と怒り狂っていた。

だが彼も家族を持つ身、最終的に条件を飲んで、年度末にこの旅館から去っていくことになる。

俺は白々しくもDの愚痴に付き合い、彼をなだめていた。
そんなことよりも、一刻も早くYにこの事実を伝えたくて仕方がなかった。

だがこの決定が、
結果的に俺の恋を・・・
そして俺自身を・・・
狂わせていくとは、まだ知る由もなかった。

平穏な日々

4月から、人員の減った旅館はそれなりに忙しかった。
だがカニのシーズンは終わっており、旅行支援のお客様も落ち着きを見せ始めていた。

運営は近隣旅館の支配人がかけもちをしてくれたものの、当然そちらの業務も忙しいため、料理長が実質のトップに立った。

大変だったが楽しかった。

Yや他の清掃係のパートも、朝食の食器洗いを手伝ってくれるなどして、俺たちの交流はさらに深まっていった。

彼女と2人、厨房の洗い場に並んで、一緒に食器を洗うこともあった。

俺は穏やかな気持ちで幸せを噛みしめていた

告白

彼女に伝えた言葉

Dは去ったものの、Yは俺に時々、意味深なLINEを送ってきていた。

――そんなメッセージのやり取りをしている時、俺はついに言ってしまった。

私は、相手に合わせて対応しているはずなので、本当の自分ってよく分かりませんけど…

振り返れば…
元々は超ーネガティブ何で…

けど、そんな私を怒ってくれた⁉
助言してくれた人がいたから…ネガティブなこと口にしなくなったのかも…

難しく考えると全てが嫌になって逃げだしたくなるので、考えないように日々追われて生きてるだけで…
今となれば、我慢して何も言わなかった自分の殻を壊して、言いたいこと何でも言って…嫌われたって別にいいしって開き直っているだけですよ!

なので、私は勘違いされてるだけで、そんないい人間ではありませんよ😅
鬼ですね👹(笑)

よい休日をお過ごしください。

これまで…特に惚れた女性には、自分の気持ちを伝えず後悔ばかりしてきたのでこんな感じになっているのかも知れません(笑)

良い出会いがあったんですね⭐
流石にかなり嫉妬しちゃいますが、仮にそれが今のご主人だっていうのなら太刀打ち出来ませんね😓

追われながらも今を大事に生きてるから素敵に見えるんじゃないですか???

だから勘違いしているのはそっちです。

私は「いい人間」じゃなくて「Y」さんが好きなんです。

じゃ、またね🤗

送信ボタンを押した直後、

(・・・やっちまった・・・)

と思ったのを覚えている。

ちなみに彼女のLINEが13時19分、俺のが15時04分。
昼間だったんだな。

これについては記憶が曖昧だが、前後のやり取りから見るに、俺はこの日は昼過ぎまでの勤務。
彼女は休日だったようだ。

俺の告白は、「どこかに呼び出して」というものでもなければ、「向かい合って心臓をバクバク鳴らしながら」というものでもなかったんだ。

待ち時間は一日千秋

おそらく俺はその日、100回以上スマホを確認しただろう。

ただ今回に限らず、俺は普段からエサを待つ犬のように返信を待っていた。

そしてその時がきた。

――22時48分
俺は彼女の返信をタップした。

彼女の返事

夢のようなお言葉沢山頂きましたが、内心…私か?って思ってましたよ(笑)
だから、乙女の(笑)気持ちはよく分かるんですけどね😅

相手を選び間違えてます🙅

〇〇さんは私と違って、これからの人だから、本当の幸せをつかんで下さいね✨

いつもありがとうございます🤗

私は自己中に日々過ごしている、単なるオニですから要注意です😄

――強がりに聞こえるかもしれない。
だが、なんとなくフラれる察しはついていた。

普段から彼女は優しいものの、最低限の一線は引いていたし、踏み込ませなかった。
そしてそれが俺の身も守ってくれていたんだろう。

ちなみに彼女のLINEにある「乙女」というのは、
普段から俺の女々しい言動に対して、彼女がよく使っていた表現だった。

その後の2人

意外に思うかも知れないが、その後も俺たちは普通に接していた。
確かに、多少のぎこちなさはあったかもしれない。
けれど不思議と、それは長くは続かなかった。

むしろ、あのやりとりを経て――
俺たちの間に、どこか穏やかな空気が流れるようになった気さえしていた。

もともと俺は、Yと恋人になりたいとか、旦那から奪い取りたいとか、そんな願望を持っていたわけじゃない。
ただ、彼女が好きだった。
それだけだった。

だから俺は勝手に、彼女と分かり合えた気になっていた。
たとえ気持ちが報われなくても、
彼女のことを「好きになってよかった」と、心から思えた。

好きな女性から、初めての誕生日プレゼント

想いを伝えた数日後、彼女から一通のLINEが入った。

お疲れ様です🙇‍♀️

9番の座席のとこに良いもの?置いてあるので持って帰って下さいな😝

フロントに居た俺は、光の速さでそれを確認に行った。

残念ながら、彼女の姿はもうなかった。
あわてて勝手口から外に出たが、彼女の車はすでに走り去った後だった。

袋の中身は――ミスドのドーナツ。
俺はうれしくてたまらなかった。すぐにLINEを返信した。

ありがとうございます。

せっかく来たんなら顔くらい見せて下さいよ💦😖

大好きですよ♡

遅くなりましたが…
誕生日おめでとう🎂ございました🎉(笑)

と言っても単なるドーナツですけどね~ぇ🍩
そしてお好みの物じゃなかったらsorry✋

誰に頂いたかが重要なんです😊

好きな女性からの誕生日プレゼント…🎁
初めての経験です(笑)

改めて当時のLINEを見返しても、俺がいかに舞い上がっていたかが分かる。

あくまで仕事の上でだが、俺はこの後も彼女と一緒に過ごす時間を楽しんだ。
一緒に客室清掃をしたり、食器を洗ったり・・・。
彼女が行ったランチや花火の写真をうれしそうに見せてくることもあった。

幸せな日々

俺は、Yのことをよく「かわいい」と言っていた。
それしか言えなかった──というのが正確だと思う。

どこが好きなのか、どうしてそう思うのか。
そんなことを聞かれても、うまく言葉にできなかった。
あるとき、Yにふと聞かれたことがある。

「どこが好きなの?」

答えようとしたけど、うまく言えなかった。

いくらでも理由があるはずなのに、口に出そうとすると全部うまくまとまらない。

「こういう気持ちって、言葉で簡単に説明できないでしょ?」──

考えた末に返した言葉がこれだった。

実際、一人で彼女のことを考えているとき──

妄想の中の俺は、もっと雄弁だった。
どれだけ好きか、どうして好きか、どんなところが魅力的か、
いくらでも言葉が出てきた。

でも実際に会って、彼女を目の前にすると、
その全部がどこかに吹き飛んだ。
恥ずかしくて、それしか言えなかった。

だから俺は、何度も言った。

**「かわいい」**と。

すると、ある日Yがふとこう言った。

「なんか、馬鹿にされてるみたい」

その言葉に、ハッとした。
そんなつもりは一切なかった。

本当に緊張して、言葉が出なかった。

告白の翌日、Yがからかうように、

「私のこと、好きなんですか?」

と聞いてきたことを覚えている。

俺は恥ずかしくて何も言えなかった。

「え、いや、好きというか、その・・・」

そんなことを言っていた。

――今なら、いくらでも説明できる気がする。
真面目すぎるくらい真面目なところとか…
人に弱みを見せられない不器用なところとか。

かわいいって言葉以上の意味があったんだよって。

・・・それでも、俺はそれでも幸せだった。

想いを伝えた女性と、ふつうに話せて、笑い合えて、同じ空間にいられる――

そんな時間が、この世に存在するなんて知らなかった。

俺は間違いなく、人生でいちばん幸せな時を過ごしていた。

・・・だが、俺の初恋の終わりは、静かに、そして確実に迫っていた。

このあと、俺は人生で初めて「嫉妬」という感情に狂わされることになる。

【後編はこちら】

38歳童貞の初恋――割れたお椀と俺の初恋(後編)

タイトルとURLをコピーしました