こんにちは、マルベリーです。
みなさんは、努力すれば必ず報われると聞いて、違和感を覚えたことはありませんか?
努力をすれば幸せになれるのでしょうか?
苦しんでいる人は努力が足りていないのが原因なのでしょうか?
この記事では日本人に根深く刻まれた「努力神話」について考えます。
努力神話とは何か?
努力神話の定義とは?
努力神話の定義は明確に存在しないようですが、以下のような考え方の総称です。
- 努力をすれば結果につながる
- 結果が出ないのは努力をしていないか、もしくは足りていないから
- 成功者は必ず努力をしている
- 努力ができない人間は内面に問題がある
など、です。
「神話」なんて単語がくっついているあたり、皮肉を感じる言葉ですね。
ネットスラングの一種なのかもな
努力神話のもたらす悪影響
- 自己否定につながる恐れがある
もともと努力が苦手だったり、なかなか成果が出せない人はこれに陥る可能性があります。
挫折が積み重なったり、他者と比べて劣っていると感じると、「自分は努力できないダメなヤツだ」と自信を失い、自らを追い込んでしまうでしょう。 - 人間は平等だという誤解を招く可能性がある
努力神話は、スタートラインはみんな同じであるというニュアンスを多く含んでいます。大人になり、経済格差や人間関係など、どうしてこんなに差が付いたんだと嘆く人は多いでしょう。
あの頃はみんな同じようにしていたのに、きっと自分にはその後の努力が足りていなかったんだ・・・と。
努力は万能ではない
努力することは決して万能ではありません、なぜなら以下のような理由があるからです。
努力は必要条件であって、十分条件ではないから
成功者は全員努力しているという主張があります。
まあそれはそうなのでしょう。
しかしながら、努力すれば成功する訳ではありません。
そもそも生まれた時点で能力差が大きいから
生まれ育った国や地域、家の経済状況、ルックスなどについて差があることについて、否定する人は少ないと思います。しかしながら、表に出ない部分、つまり性格や頭の良さなどについては別だと考える人が多いのは何故でしょうか?
「見えない部分に限っては平等」なんてあるわけないだろ!!
お、おい!どうした!?
いつになくヒートアップしてるな!
努力した才能の持ち主には勝てない
ウサギとカメの話はみなさんよくご存じだと思います。
最終的にゆっくりでも着実に歩を進めたカメが勝利をおさめるという、日本における努力神話の祖ともいえるお話です。
・・・ただし、これはウサギが余裕をぶっこいてお昼寝をしていたからです。
もしウサギが、最初から全力で走っていたらどうでしょうか?
カメはまず勝つことができないでしょう。
当然です。生まれ持った才能が違うのですから。
これは人間の世界にも当てはまります。
実はこれを教えるためのお話だったのは?
お前は本当にひねくれてるなー。
努力神話への対処法
じゃあ、どうすればいいんだよ。
お前の主張だと、努力したって才能のある人間には勝てないんだろ?
うん、というか、そもそも他人と比べるからおかしなことになるんだよ。
努力の比較対象は過去の自分自身なんだよ。
それって結局他人と比べるなって話じゃないか
うん、そうだよ。
努力神話に苦しめられる原因
なぜ私たちは努力神話に苦しめられるのでしょうか?
以下のような理由ではないでしょうか?
- 他者との比較が前提になっているから
- 他者とスタートライン(能力)が一緒だと思い込んでいるから
- 現在の世間の努力に対する風潮が間違っているから
結局、全て他者がからんでいるのです。
他者ではなく、過去の自分自身と比較する
前述のように、人間には生まれ持っての能力の差があり、向き不向きも存在します。
ある事柄について同じ努力をしても結果は同じにはならないのです。
まずその事実を受け入れて考えるべきです。
つまり、努力したかどうかを他者と比べること自体がナンセンスということです。
努力の比較対象は自分自身であるべきです。
というより、それ以外に正確に比較できる対象は存在しません。
10年前の自分、5年前の自分、1年前の自分、比較してみてどうでしょうか?
肉体面では劣った人もいるかも知れませんが、知識や経験、精神面では成長しているのではないですか?
そしてそれらは全て偶然身に付けたものでしょうか?
何らかの行動、すなわち努力があって身に付いたものではないでしょうか?
自分の成長は分かりにくいものです。
だから比較しやすい他者に目が向いてしまうのです。
日記をつけて、過去の自分の考えを視覚化したり、
資格取得をしてみるといいかもな。
努力神話は自分の中だけに存在する
努力神話について色々考えて、私はこの結論に到達しました。
私も他者との比較ばかりをして、苦しんだ経験があります。
反対に、自分の成長には全く目を向けていませんでした。
自分ができることくらい他人でもできるだろうと考え、してきた努力を価値のないものと、無意識に否定していたからです。
しかし、努力の結果は過去の自分と比較するものだという考えを持ってからは、あまり苦しまなくなりました。
現在努力神話に苦しみ、偶然この記事を目にされた方に少しでも楽になってほしいです。
他者との比較ばかりをして苦しむ必要はありません。
努力の尊さを最初に説いた人間は、現代日本のような考え方を残念に思ってるのかもしれないね。努力自体は悪いことでもなんでもないのに。
みんなは世間の風潮に惑わされずに、自分をしっかり持ってくれよ!