この議論は昔からあったのかも知れませんが、最近よく見るようになりました。
ネット社会のせいでしょうか?それとも不景気で格差が広がっているせい?
おそらく両方でしょうし、他にも原因があるのでしょう。
今回は「努力は才能か」というテーマで私なりに考えをまとめてみました。
「努力は才能です」能力差は間違いなく存在する
正確には「努力できることは才能」ですね。
遺伝子的に見た目や身体能力に差ができるように、内面にも差がでるのは当然だと思います。
「見えない部分に限ってはみんな一緒♪」なんてことがあるわけないですからね。
少しでも差があるのならそこには才能が介入しているのです。
双子の研究やらいろいろあるようですが、わざわざ引用する必要はないでしょう。
考えなくとも分かる理屈ですから。
研究者の方は根拠を示さないといけないので大変ですね。
一部の成功者は「努力は才能」を否定する
実際にインターネットでも鼻息を荒くして否定している人間が大勢います。
自分が努力の末に掴んだ成功を「努力の才能があったから」の一言で片づけられてしまっては、面白くないからです。
気持ちは分からなくもないです。
ただ、別に努力したことは事実なんだからいいじゃないかと思うのですが、その人たちはどうにも納得がいかないようですね。
そういった人間が「努力は才能」という事実に対し、わざわざ低いところまで降りてきて、必死で反発しているのは非常に滑稽で面白いですね。
中には有名大学を出たりしている人もいるので、学校の勉強とそれ以外はやっぱり違うんだなと思ってしまいます。
ヒートアップして、論点を「努力は才能か」から「努力は必要か」とか「自身の不幸な環境の話」にすり替えたりしているのを見ると、哀れに思えてきます。
何か目的があるのなら別ですが、安いプライドのためだけにここまでできるのであれば、失笑ものですね。
目的と言えば、「努力すればあなたもこうなれる!」と謳って情報商材を売ったり、オンラインサロンを開いたりしている人は困るでしょうね。
こういった人が否定しているのであればよく分かります。
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成功者以外にも否定する人間はいますが、どうでもいいと思ってます
「努力は才能である!」・・・だから何?
努力は才能です。
だから何なのでしょう?
「努力は才能」であろうが、「親ガチャ」があろうが、それを訴えても現状が変わるわけではありません。
受け入れて、スタートラインに立つ姿勢がなければ、一生それを言い訳にして生き続けることになります。
言い訳をした後は、世の中の不平等に立ち向かわなければなりません。
結局のところ、努力が才能であったとしても、人によってその力が0か100かなんて極端なことはありません。ましてや0なんてあり得ない。
ある目的を達成するにあたり、努力の才能がある人と比べると、そうでない人は労力や費やす時間が多くなってしまうかも知れませんが、誰でも達成することができるわけです。
(他の能力が同等の場合ですが・・・)
それすら怠り、「努力は才能」という事実を盾にして現状に甘んじるのであれば、誰かから責められても仕方がないでしょう。
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お前に言われなくてもみんな分かってると思うぞ
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まあね(笑)
ついついこの項を書いてしまいましたが、私も論点をずらしてしまいましたね(笑)。
まとめ
今回は「努力は才能か」というテーマでお送りしました。
「人間の能力はそれぞれ生まれつき違う」という分かり切っていることに対して、無駄な時間を使うことは果たして意味があるのでしょうか?
みなさんは時間を有効に使ってくださいね。