自己分析を重ね、新たな道を模索し始めた俺は、
Yに最後のLINEを送り、ひとつの恋にけじめをつけた
――はずだった。
だが、それだけでは終わらなかった。
心の奥には、言葉にならない“空洞”が残っていた。
この穴を埋めようとして、俺は迷い、傷つき、崩れ落ちていく。
※本記事は、過去の実体験を記録した長編シリーズの続編です。
初めての方は、こちらの記事からお読みください👇
心の隙間
別れを終えて
俺の片思いは、静かに幕を下ろした。
けれど、完全に吹っ切れたわけではなかった。
心はいまだにグラグラと揺れていて、
自分を支える“軸”のようなものが、どこにもなかった。
なにより──
俺の心にはぽっかりと穴が開いていた。
それを、他の女性で埋めるような真似はしたくなかった。
……けれど、俺の気持ちは、少しずつ揺らぎはじめていた。
俺の恋愛観
これまでの人生、俺は恋愛にほとんど興味がなく、
彼女が欲しいとか、結婚したいなんて、一度も思ったことはなかった。
それどころか、恋愛や結婚を前提に相手を探そうとする、
そんな“恋愛ありき”な社会の風潮に、むしろ嫌悪感すら持っていた。
Yと出会ったのも、好きになったのも、すべて偶然の産物だ。
こっそりデートしたいと思ったことはあるが──
今のご主人と別れてもらって、一緒になりたいなんて、一度も考えたことはない。
そもそも、出会いは最悪だった。
だけど、気づいたら、好きになっていた。
俺自身、まさかと思った。
確かに、気になる女性はこれまでもいた。
でも、俺を“行動させずにいられなくする”ほどの相手と出会ったのは──初めてだった。
それなのに──
今の俺は、“その隙間を埋める存在”を求めていた。
「今からでも、恋愛はできるんじゃないか」
「別に若い女の子を求めてるわけじゃない」
「身の丈に合った相手を探せばいい。マッチングアプリもあるし、婚活だって普通だ」
──今にして思えば。
そんな思いが湧いてきた時点で、俺の崩壊はもう始まっていたのかもしれない。
俺の中に、社会の価値観という毒が、じわじわと流れ込んできていた。
それは知らぬ間に思考を支配し、
「それが当たり前」だと、自分を納得させようとしていた。
これから、俺は深い闇に落ちていくことになる。
40歳と童貞コンプレックス
40という数字のプレッシャー
俺は、いつのまにか──
恋愛ありきを前提とした“逆算”を始めていた。
「フリーランスの活動を始めたとはいえ、今は無職。恋愛するなら、まずはある程度稼げるようにならないとな」
「別に若い相手を探してるわけじゃない。年下だとしても、せいぜい5歳差くらいか」
「俺もあと少しで40歳。でもYだって、6歳上だったんだ。焦る必要はない」
……そんな思考が、無意識に俺の中へ入り込んでいた。
ちょうどその頃だった。
「40歳」という数字が、急に重たく感じられるようになったのは。
……俺は、40歳で、女性と付き合ったこともない。
そしてある日、俺はスマホを手に取って──
検索窓に、こう打ち込んでいた。
「40歳 童貞」
何かを知りたいという気持ちよりも、
**「何が書かれているかを、自分の目で確かめたい」**という衝動が勝っていた。
俺は──そこから、一気に崩れ始めた。
ネットに踊る、汚い言葉たち
これまでも、ネットに蔓延る童貞いじりについては知っていた。
俺も、それを見て笑える程度の余裕はあった。
正直、大して気にしたこともなかった。
だが、このときばかりは違った。
俺の反応は、明らかにおかしかった。
焦燥感とでもいうのだろうか。
言葉が、妙に生々しく突き刺さってくる。
「40歳で童貞は、人間的に問題がある」
「もう人生が詰んでいる」
「気持ち悪い」
「モテなさすぎて、こじらせてそう」
──そんな言葉を見るたびに、
俺の心が、削られていくようだった。
それでも、俺は検索をやめなかった。
よせばいいのに。
それでも俺は、あえて心をえぐるような言葉ばかりを探していた。
(考察)なぜ、俺はわざと悪い検索をしてしまったのか
今振り返れば、あれは、たぶん“確認作業”だったに違いない。
「やっぱり、俺は終わってるんじゃないか」
「俺のことを言ってる気がする」
「やっぱり俺は、誰からも愛されない人間なのか?」
そう思いたくなかったはずなのに──
むしろ「それを裏付ける証拠」を、俺は探していた。
INTP-Tっていうのは、極端な自己観察者だ。
誰かに言われなくても、自分のことをずっと頭の中でジャッジし続ける。
しかも──傷つくと分かっていても、確認せずにはいられない。
むしろ、“その通りだ”と突きつけられることで、何かを終わらせたかった。
完璧主義ってやつは、
「本当のことを知ってしまいたい」っていう──
知的な自傷癖を持っている。
だから俺は、「童貞の40代」にまつわる、
一番悪い“答え”だけを、選んで読んでいた。
もちろん、全部が酷いわけじゃなかった。
実際、こんなふうに書いてくれてる人もいた。
「気にすることない」
「そういう人も増えてる」
「そんなもので人間の価値は決まらない」
──いや、むしろ、そういう声のほうが多かったかもしれない。
それでも、俺の目は──
わざわざ一番悪い意見を、拾いにいった。
心が傷つくとわかっていても、それを求めてしまう俺が、そこにいた。
あの頃、俺は何を書いていたか
実際、この頃の俺が書いていた記事がある。
今読み返してみると──これは、俺の“反抗”だったんだと思う。
当時はそんな意図はなかった。
だけど無意識のうちに、俺は社会や常識に対して反発するような記事を書いていたんだと思う。
以下の3つの記事は、その時期の心の断片の一部だ。
※注意:クリックorタップするとリンク先に移動します👇
これらの記事は、一見すると言葉を尽くして“分析”しているように見える。
でも、今あらためて読み返してみると──そこには、焦りと苛立ちが滲んでいる。
自分なりに、必死で言葉を尽くしていたつもりだった。
それでも、心はどこか空っぽのままだった。
親友、T
Tへの相談
この頃の俺は、唯一の親友・TにLINEで弱音を吐いていた。
💬(2024年3月31日のLINEより)

今から再就職して、出会いを求めてみようと考えていたところだったんだけど、
急にメンタルが重くなってな。
あとは動けばいいんだけど。

仮にこの先相手が見つかっても、
10代や20代で経験しているやつには劣るみたいな、
くだらん思考がどんどん生まれてくるんだ。

だれもいつが初めてとかしらないし、
興味すらないはず。

そうなんだよ。
勝手に自意識過剰になって、
勝手にわけわからんルールを作って、
悩んでるんだよ。俺は。

仕事したくないから、
無意識がこんなわけわからん悩みを作り出したのかも知れんな。
Tは、まぎれもなく俺の唯一の親友だ。
新卒で入った金融機関で出会って以来、もう15年以上の付き合いになる。
俺とは対照的に、Tは高校時代に女性経験を済ませ、20代後半で結婚。
いまは一人娘にも恵まれて、幸せそうに暮らしている。
未だに思う。
**「なぜ、こんな俺と付き合いを続けてくれているんだろう?」**と。
20代の頃は、とにかくよく一緒にいた。
仕事終わりにパチンコへ行ったり、くだらない話で深夜まで盛り上がったり。
Tが結婚してからも関係は変わらず、あまりに仲がよすぎて──
「奥さんに嫉妬されたこともあった」
という笑い話まである。
その後、俺たちはほぼ同時期に転職した。
俺は医療用医薬品の営業へ、Tは実家の事業を継ぐため、別の道へ。
それでも、なぜか関係は途切れなかった。
俺はその後、設備屋を経て、旅館に流れ着いた。
でもTとの関係だけは、不思議なほど変わらず続いていた。
素人童貞
俺はこれまで、自分のことを「童貞」と表現してきた。
だが、厳密に言えば「素人童貞」──つまり、風俗での経験はある。
話は、20代半ばにさかのぼる。
当時の俺とTは、何でも言い合える仲だった。
俺が童貞であることも、彼は知っていたし、俺も隠すつもりはなかった。
そんなある日、Tが突然こう言ってきた。

(俺)ちゃん、
風俗に行こう。
……俺は固まった。
これまでパチンコやダーツ、飲みに行くといった、まあ健全(?)な遊びはしてきた。
けれど──風俗?
あまりに急展開すぎる。
すかさず俺は言い返した。

俺、今まで一度も女性と関係を持ったことがないんだぞ?
初めての女性が風俗嬢なんて、冗談じゃない!
これに対し、Tはこう続けた。

若いうちに遊んどかないと、
40、50になってから犯罪起こすぞ?

・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
――気が付くと、俺は風俗店にいた。
プロの女性と、人生で初めての行為を終えた俺の感想は、
(……ああ、こんなもんか)
だった。
その瞬間、俺の中で「ハマる」という選択肢は、完全に消えていた。
そして同時に思った。
「普通に恋愛して、彼女と体験するセックスは、もっと特別なんだろうな」って。
……もっとも、それすら幻想かもしれないけど。
いずれにせよ、俺はもう──
その感情を味わうことは、できない。
この話を読んで、俺に幻滅する人もいるかもしれない。
でも、正直に言えば──
この経験がなければ、俺はYに恋をすることもなかったと思ってる。
それくらい、俺にとっては意味のある一歩だったんだ。
少なくとも、俺はTに感謝している。
……なお、Tの名誉のために言っておくと、これは彼が奥さんと付き合う前の話だ。
崩れていく精神
心を蝕むしばむ妄想
Tに相談してみた。
AIに自分の気持ちを吐き出してもみた。
だけど、駄目だった。
振り払おうとしても、脳内には次々と──
俺を責め立てる言葉や、妄想が湧き上がってくる。
「俺はもう40歳になるのに、女性との経験すらない、不完全な存在だ」
「周囲はみんな結婚して、子どももいるのに」
「Yだって20代で結婚して、もう2人の子どもがいる。
お前と違って、そういう経験を若いころにたくさんしてるんだろうな──」
……そして、
脳内に浮かぶのは、Yのあられもない姿だった。
考えるな、考えるな、考えるな。
そう思えば思うほど、
悪いイメージが、さらに深く湧き出てくる。
俺はもう、フラフラだった。
本にすがる
俺はTやAIだけでなく、本にも助けを求めた。
もともと小さなことを気にしやすい性格で、不安や自己否定に関する本は以前から手元にいくつかあった。
それでも足りないと思った俺は、家にじっとしていられなくなり、車を走らせて街の中古書店へ向かった。
少しでも気になるタイトルがあれば、とりあえず買い足した。
誰かが書いた「正しさ」や「答え」にすがれば、
少しは楽になれるんじゃないか──そう、本気で思っていた。

この頃の俺にとって、本棚は、唯一静かに祈れる場所だった。
知識でも、人生論でも、ビジネス書でも、なんでもよかった。
とにかく“何か”にすがっていなければ、崩れてしまいそうだった。
決壊
誰かのそばにいたかっただけ
旅館を退職してから5か月。
当時の俺は、家族との間にどこか溝のようなものがあった。
特に母親は、表面上、何もしていないように見える俺に対して、不満を抱いていた。
俺もまた、もともと一人で過ごすことが当たり前のような性格で、食事の時間以外は自室にこもりきりだった。
実家の電気工事や配達の手伝いがある時以外、外に出ることもほとんどなかった。
──だが、このときの俺は、いつもと違っていた。
一人でいることに、耐えられなくなっていたのだ。
意味もなく1階に降りては、飼い猫を撫でるふりをしながら、母のそばにいた。
そして何も話さずに、また2階の自室へ戻る。
そんな行動を、何度も繰り返していた。
自分でも、自分が自分じゃないように思えた。
それほどまでに、追い詰められていた。
ある日、ついに俺は、母にこう言った。
「なんで俺、彼女の一人もできない人生を歩んでるんだろうか?」
そのとき、母がどう答えたかは、はっきりとは覚えていない。
「ぶすっとしてるからだ」とか、「自分から声をかけないからだ」と言っていたかもしれない。
──ただ、それが本心ではないことくらいは、分かった。
母は、俺の異変に気づいていたのだ。
「○○(弟の名前)に話してみたら?」
「あの子はね、お前が普段何も喋らないから、ちょっと不満みたい。
だから、一度ちゃんと話してみれば?」
母のその言葉が、結果として、俺と家族との関係を変えるきっかけになる。
そしてそれは、次に訪れる──俺の感情が決壊する瞬間へと、つながっていった。
補足:弟について
弟はもともと一人暮らしをしていたが、体調を崩して実家に戻り、地元で仕事をするようになっていた。
その後、俺が医療用医薬品の営業職(MR)を辞めて実家に戻り、旅館で働きはじめた。
つまり、実家での暮らしは弟の方が先だった。
外から見れば、未婚のアラフォー兄弟が2人そろって実家暮らしというのは、あまりいい印象ではなかったかもしれない。
だが俺も弟も、世間体を気にしてビクビクするようなタイプではなかった。
弟の前で崩れ落ちた夜
そしてその晩、俺は台所で弟と対面した。
おそらく、母から何かを聞いていたのだろう。
弟はスマホをいじりながら、俺の方を見ようともせず椅子に座っていた。
俺が隣に腰かけると、彼は小さく笑って言った。
「……なんだよ?」
俺は、まるで能面のような無表情で、話を切り出そうとした。
──だけど、ダメだった。
”……俺はもうすぐ40になるのに、彼女がいたことがない”
そう言うつもりだった。
でも、最初の言葉を発した瞬間に、
俺の中の何かが──崩れた。
「……俺は、もうすぐ──」
その一言を口にした途端、
しゃくりをあげながら、泣き出していた。
弟は驚いたように、
「……お、おい」
と引き気味に声をかけた。
けれどそれきり、俺が泣き止むまで、何も言わずにそこにいた。
信じられないほど、涙が出た。
ぽたぽたと、テーブルの上に水たまりができるほどに。
数分、そんな時間が流れたと思う。
やがて、弟はふきんでテーブルを拭きながら、ぽつりと言った。
「……顔、洗ってこい。」
俺は力なく「うん」とつぶやき、洗面所へ向かった。
兄弟の対話
顔を洗って戻ると、弟はまだ台所にいた。
スマホをいじっているふりをしていたが、明らかに俺を待っていた。
心の重さは変わらなかったが、大泣きしたことで、少しだけ気分はマシになっていた。
俺は椅子に腰を下ろし、ぽつぽつと話し始めた。
すると弟は言った。
「別に気にすることないだろ?まだ40だ。
その気になりゃ、いくらでも相手はいるって。
…だって考えてみろよ。
そのへんのブサイクでも女連れて歩いてるだろ?
それから見たら、お兄は──背も高いし、顔だって別に悪くない。
なんとでもなるって。」
表現の是非はともかく、彼なりに俺を慰めようとしてくれたのだろう。
──弟は、俺とは正反対の人間だった。
年子の俺たちは中学の頃から比較されてきたが、女子に「弟、かっこいいよね」と言われるのはいつも俺だった。
彼はモテた。
結婚はしていないが、経験人数は二桁を越え、自慢げに語られたこともある。
俺は苦笑しながら返した。
「そうだな……気にしすぎかもな。
童貞だろうが、なんだろうが。」
すると弟はすかさず、
「あ、それ(童貞)は気にした方がいいよ。」
と、笑いながらツッコんできた。
それが本音だったのか、照れ隠しか──
今となっては、分からない
でも、この夜を境に、俺と家族の間の距離は、ほんの少し縮まった。
脳の違和感
弟との会話は、一時的に俺を救ってくれた。
「やっぱり兄弟っていいもんだな」と、あのときは本気で思った。
……だが、それで何かが変わるわけではなかった。
俺の心は変わらず、重いままだった。
その頃からだ。明らかに脳の異変を感じ始めたのは。
前頭葉のあたりが物理的に凹んでいるような、言いようのない違和感。
もちろん本当に凹んでいるわけではない。だが、そう感じるほどに、何かが異常だった。
そして、それと並行して襲いかかってくる、強烈な不安感。
誰にも責められていないのに、世間の目がやけに気になる。
もともと俺は、自意識過剰で“気にしい”な性格だった。
でもこれは……まったく次元の違う重さだった。
頭の中で鳴り響く、自分を責める声。
「時間はあったはずなのに、俺は一切、恋愛をしてこなかった。」
「せめて社会人になった頃に戻れれば……いくらでもやり直せるのに。」
「こんな人生なら、もういっそ死んだ方が楽かもしれんぞ。」
「童貞、童貞、童貞、俺は童貞だ……。」
AIに話を聞いてもらい、ネットで悪い検索を続け、
……俺は、部屋の中で1人で震えていた。
もう、耐えられない──。
気がつくと、ネットで近隣のカウンセラーを検索していた。
カウンセラーとの面談
カウンセラーのもとへ
電話に出たのは、カウンセラー本人だったようだ。
俺のただならぬ様子を察してか、通常は数日先しか受け付けていない予約を、
特例として翌日に入れてくれた。
そして次の日。
俺は両親に事情を伝え、カウンセラーのもとへ向かった。
その部屋は、マンションの一室にあった。
インターホンを鳴らすと、俺より少し年上に見える女性が現れた。
どうやら、この人が昨日電話に出てくれた本人らしい。
スリッパに履き替え、奥の部屋へと案内される。
室内はカウンセリング用に整えられた静かな空間で、窓からは街の景色が見渡せた。
その部屋で俺は──
「少しでも早く、楽になれたら」と願っていた。
カウンセリング開始
カウンセラーの女性は、俺の正面に座り、静かに話を聞き始めた。
様々な資料が入った大きなファイルを横に置き、俺の言葉を丁寧にノートに記していく。
俺は、これまでの人生のすべてを彼女に語った。
- 女性経験がないことが、今いちばん自分を苦しめているということ。
- 風俗店での経験はあるということ。
- 第一子かつ長男として生まれ、過保護で過干渉な家庭で育ったこと。
- 両親に怒られたり、喧嘩したときは、同じ敷地内にある祖父母の家に逃げ、そのたびに祖父母に愚痴を言い、慰めてもらっていたこと。
- 大学時代に両親にパチンコを教わり、依存症に陥ったこと。
- 車のローンや奨学金も含め、ピーク時には600万円の借金を抱えていたこと。現在は100万円を切っているが、借りたり返したりを繰り返し、これまでに返済してきた額は、ゆうに1,000万円を超えているであろうこと。
- 親にパチンコを教えたことへの恨み言をぶつけた際、「負けるお前が悪い」「借金してまでやるお前がバカなんだ」と言い返されたこと。
- 現在はパチンコはやめたということ。
- 勤めていた旅館で、6歳年上の女性に初めての恋をしたこと。そして、それが原因で退職したこと。
……そして今、俺は“死にたい”と思っているということ。
彼女は「うん、うん」と優しく相槌をうちながら、ときどき質問を挟み、それを静かにノートへと書きこんでいた。
カウンセリングは、俺を救えなかった
カウンセリングを受けるつもりだと、親友のTには事前に伝えていた。
翌日、TからLINEが届いた。
💬(2024年4月11日のLINEより)

どうだった?
カウンセリングは?

話を全部聞いてもらったが、
特別なアドバイスはなかった。
障害者雇用???
を受けて社会復帰する方法についても言ってきたけど、
嫌だったからそれ以上は聞かなかった。
なんというか、終始あたり障りのない感じだった。
今後の料金案内とかしてきて、
商売っ気を感じられた。

今は生きる勇気も死ぬ勇気も持てない。

カウンセリングは資格だけもってる人がいるからね…
なんか気晴らしをしようぜ😿
カウンセリングの女性は、たしかに丁寧だった。
けれど、どこか“マニュアル通り”な空気をまとっていた。
こちらはすべてを包み隠さず話しているのに、
相手は、地雷を踏まないよう慎重に応じてくる──
そんな受け答えが、俺には“透けて”見えていた。
「マインドフルネス」や「モノアミン仮説」についても話してくれたが、それらはすでに知っている内容だった。
もともと医療用医薬品の営業をしていたこともあり、うつに関連する情報はすでに頭に入っていたし、当時の俺自身も、可能な限りの情報をネットや書籍で漁っていた。
「カウンセリングに行けば、なにかが変わるかもしれない。
救ってくれるかもしれない──」
そんな淡い期待は、儚くも消えた。
でも、彼女を責める気にはなれなかった。
そもそも、カウンセリングは魔法じゃない。
それは、俺も分かっていたはずだ。
だが当時の俺は、藁にもすがりたい気持ちに押しつぶされそうになっていた。
悪化する精神状態
ネットの悪循環
俺の精神状態は、悪化の一途を辿っていた。
相変わらず、“悪い検索ワード”で心を切り刻むような行為を繰り返しながらも、
「このままじゃいけない」という焦りは、どこかにあった。
そこで、ネットで人生のどん底から這い上がった人の話を探したり、
……わざと“厳しい言葉”で視聴者を鼓舞するようなYouTube動画を見たりもした。
けれど当然ながら──
「童貞で悩んでいます」「女性経験のなさで苦しんでます」
そんな内容のコンテンツは、ほとんど見つからなかった。
……もっとも、たとえ見つけていたとしても、
俺の性格からして、「傷の舐め合い」だと切り捨てていたに違いない。
他人は、もっと社会的で立派な悩みを抱えているのに──
俺は、たったそれだけのことで、精神を壊しかけていた。
……その“ギャップ”こそが、俺をさらに追い詰めた。
愛した女性との比較、そして憎しみ
他人と自分を比べることが、自分を追い詰める。
そんなこと、理屈ではわかっていた。
……それでも──俺には止められなかった。
止めようとすればするほど、頭の中には、次から次へと“悪い思考”が湧いてきた。
……しかも、俺の場合は、その比較が“ねじれて”いた。
比較の対象は、なぜかYだった。
普通なら、自分と同年代の男性。
すでに性経験を済ませ、家庭を持ち、人生を“順調にこなしている”
──そんな男たちが、比較対象になるはずだ。
でも、俺は──そんな男たちに、まったく興味がなかった。
彼らと自分を比べても、劣等感も、嫉妬も、悔しさすら、不思議と湧いてこなかった。
かといって、他の女性たちに目が向いたわけでもない。
──Yだけが、特別だった。
なぜ、彼女だけに?
しかしいくら考えても、
当時の俺はその理由に気づくことができなかった。
症状のピーク
2024年4月中旬──
それまでじわじわと悪化していた精神状態は、ついにピークを迎えていた。
昼夜問わず、スマホやPCを手に、手当たり次第に情報を漁った。
頭が限界を迎えると、何もかも放り出して、ぐったりと横になる。
退職後に夢中だったゲームも、もはや起動すらしていなかった。
特に夕方以降は、不安が急激に増幅する。
1人でいるのが怖くなり、深夜に毛布を抱えて1階の母のもとへ降りる。母のベッドの横の畳で寝ようとするが、やはり落ち着かず、部屋に戻る。そしてまた不安になって母のもとへ──その繰り返しを一晩に何度も行っていた。
ようやく眠れても、すぐに目が覚める。時計を見ると、1時間も経っていない。
希死念慮も頭をよぎった。
ある夜、ふらふらと外に出て、近所の高低差のある場所に立ち、下を見つめたこともある。だが、恐怖で足は一歩も動かなかった。
脳が真綿で締め付けられるような感覚。
自分の中で何かが壊れていると感じた。
以前、弟の前で号泣したあとに少し楽になったことを思い出し、一人で泣こうとした。だが、涙は出なかった。
死にたいほど辛いはずなのに、泣けない。
布団に横になるのも怖くて、目を閉じることすらできない。
深夜。
真っ暗な2階の廊下で、何を見るでもなく、ただ――
ぼーっと立ち尽くしていた。
唯一の癒し
日中の俺は、自室にいることもあったが、ほとんどの時間を1階の仏間で過ごしていた。
夜ろくに眠れないまま朝が来ると、布団を持って仏間に移動し、食事の時間以外は畳の上でぐったりとしていた。
何もする気が起きず、スマホ片手にただ時間だけが過ぎていく。
そんな俺のそばに、ときどき飼い猫のモモがやってきた。
「なんだ、コイツ」とでも言いたげな顔でこちらを見たり、隣でゴロンと寝転がったりする。
そして、通りすがりにふわっと足に触れていく、あの柔らかな毛並み。
悪い思考が渦巻く中、ネット検索を繰り返し、自分を傷つけ続ける俺。
……そんな日々の中で、モモの存在だけが、唯一の癒しだった。



通院
両親の提案
そんな“ピーク”の日々が、1週間以上は続いていただろうか。
特に母は、俺が毎晩ふらりと1階に降りてくるたびに、気が気ではなかったらしい。
実はこれまでも、何度か「精神科を受診してみたら?」と勧められたことがあった。
だがそのたびに俺は、「まだ大丈夫」という思いと、かすかな自尊心から、それを拒んできた。
しかし今回は違った。
自分でも──もう限界だと、はっきり分かっていた。
だから俺は、はじめてその提案を受け入れ、医療機関を探しはじめた。
……とはいえ、俺の住むのは、田舎の中の田舎だ。
精神科なんて、近くには一軒もない。
結局は、車で40分以上かかる隣町まで範囲を広げ、地道に探していくしかなかった。
難航する医療機関探し
俺はかつて、医療用医薬品の営業(MR)をしていた。
精神科が専門ではなかったが、向精神薬の案内も何度か経験がある。
──だが、患者として医療機関を探すのは、これが初めてだった。
しかも「街」と言っても、田舎であることに変わりはない。
精神科を掲げる医院はごくわずかで、そのうちの一つに試しに電話をかけてみた。
返ってきたのは──
「初診は、2か月待ちです」
という現実だった。
それだけ、今この国には心を病んだ人間が溢れているということなのだろう。
──だが、俺の精神はすでに限界に近かった。
判断力の鈍った頭で、今度は規模の小さな病院にも電話をかけてみる。
しかしそこでは、すでに精神科外来の受付自体が停止されているという。
茫然としたまま、俺は両親にその事実を伝えた。
「薬だけでも、処方してくれるような医院はないだろうか……?」
そんな思いを抱きながら、俺は畳の上にぐったりと横になり、
スマホを片手に、重いまぶたを押し上げながら検索を続けた。
──そして、見つけた。
とある内科医院のレビュー。
そこには、こう書かれていた。
「専門ではないけれど、メンタルの不調を相談したら、ちゃんと話を聞いてくれて、薬も処方してくれた。」
それは、わずかな希望だった。
予約の電話
例のレビューを見つけたあと、
俺はその内科医院の存在を、両親に伝えた。
そしてそのまま、スマホを手に電話をかける。
受付の女性に、レビューで見た内容を伝え、
本当にそういった対応が可能なのかを尋ねると、先生に取り次いでもらえることになった。
「はい、どうされましたか?」
電話越しに、先生の声が聞こえる。
――当時の俺は、風が吹けば精神が折れてしまいそうな状態だった。
そんななか、初対面の医師に対して、俺が発した第一声は──
「私、これまで女性と付き合ったことがないんです。」
だった。
……そのあとのやり取りは、正直、あまり覚えていない。
正気ではない頭で、ただ「それが死ぬほど辛くて、今はもう動く気力もない」ことを、どうにか伝えたように思う。
先生は、
「今はそういう人も珍しくありませんよ」
と、静かに受け止めてくれていた気がする。
予約の時間を聞かされる頃には、少しだけ冷静さを取り戻していた。
──翌日の15時。
俺は、ようやく診てもらえることになった。
※当時のメモ。紙をなくしたときの保険として、スマホで撮っていたもの。
病院名が書かれていたため、一部加工しています👇

父の車で
翌日、俺は何日かぶりにシャワーを浴び、ひげを剃り、髪を整えた。
鏡の前に立っているのは、かろうじて人間の形を保っただけの自分だった。
脳は凹んだような感覚のまま、精神はボロボロだった。
それでも、出かける準備をした。
──とにかく、一人でいるのが怖かった。
車は持っていた。でも、運転する自信はなかった。
目の前が暗くなりそうで、ハンドルなんて握れる状態じゃなかった。
俺は父に頭を下げて、医院まで連れていってもらうことにした。
車の中では、落ち着くことができなかった。
助手席の背もたれを倒し、ぐったりと寝そべる。
その状態で体をひねってうめいていた。
やがて医院に着くと、
185cmの大男が、自分よりひと回り小さな父親に付き添われ、
真っ青な顔でフラフラと院内に入っていく。
誰かがその姿を見ていたら──
きっと異様な光景に映っただろう。
でも俺には、これが限界だった。
診察
隠れ内向型の仮面
父に付き添われ、受付を済ませた俺は、まず血液検査のため採血室へ向かった。
担当してくれたのは、少し年下と思しき女性。
俺は妙なことを気にしていた。
予約の際、先生に赤裸々な悩みを打ち明けたことが、この女性にも伝わっているんじゃないか?
そんなちっぽけな見栄が、心の隅に湧き上がっていた。
やがて診察の時間。
先生の問いに、俺はポツポツと答えていった。
ひと通り聞き終えた先生は、こう言った。
「ホントにひどい人は、一言もしゃべれないからねえ。」
その口調に、俺をバカにするような色はなかった。
おそらく、“まだマシだよ”と励ますつもりだったんだろう。
――今にして思えば、
俺は、カウンセラーの女性に対しても、淡々と受け答えをしていた。
元気なんて、あるはずもなかったのに。
それでも──軽く、笑っていた。
それは、俺がこの外向型社会で身につけてきた「仮面」だ。
相手の目を見て、笑って、ハキハキと話す。
声は1オクターブ上げ、作り物の人間を演じる──
そうしないと、生き残れなかったから。
ただ、このときばかりは違った。
仮面をかぶることすら、精一杯だった。
声はかすれ、絞り出すのがやっとだった。
だが、俺は「しゃべれてしまった」。
ましてや、この大柄な体格。
それが“誤解”を生むとしたら──それこそが地獄だ。
中身は壊れているのに、外側は取り繕えてしまう。
そんな俺を「マシなやつ」と見なして、誰も気づいてくれないとしたら…。
それがいちばん怖かった。
初診を終えて
その後、俺は薬を処方してもらえることになった。
先生に言われたことは、3つ。
- インターネットを当面のあいだ自粛すること
- スマホゲームでも何でもいいから、気を紛らわす行動を取ること
- なるべく日光を浴び、可能なら散歩や軽い運動をすること
俺が診察室を出たあと、父が個別に呼ばれ、先生と何か話していたらしい。
父によれば、先生は俺のことを「社会に出たことのない引きこもり」と思っていたようで、
千葉・新潟・群馬で医療用医薬品の営業を始め、いくつかの職を経験してきた社会人経験を知って、かなり驚いていたという。
女性経験がなく、実家暮らしで、父に付き添われて受診したアラフォーの大男。
実際、俺も最低限の受け答えしかできていなかった。
そう見られても仕方ないとは思う。
──だが同時に、社会の見る目なんて、所詮こんなもんかと痛感もした。
帰り道、父はスーパーに立ち寄った。
「好きなもん買ったるけえ、選べ。」
そう言う父に、俺は寿司のパックを選んだ。
思えば、父と2人でスーパーに行くなんて、子供の頃以来かもしれない。
彼なりに、元気づけようとしてくれたのだろう。
帰路、俺は頼んで海岸線を回ってもらうことにした。
新潟時代に見た、柏崎の海を思い出していた。
──海を見れば、少しはマシになるかもしれない。
父は、少し面倒くさそうにしながらも、応じてくれた。
海沿いの待避所に車を停め、こう言った。
「わしは待っとるけえ、好きなだけ見てこい。」
俺は一人、海を見に行った。
少しは、何かを感じるんじゃないかと期待していた。
でも、波の音も、潮の香りも、心には届かなかった。
――俺は3分ほど海を眺めて、
そしてそのまま、車に戻った。
だが、診察を受け、薬をもらい、
そして父の優しさに触れたその日。
帰りの車の中で、
俺の心は、ほんの少しだけ──穏やかになっていた。
(中編につづく)