あと一歩、届かなかった【自己分析と40歳の狭間で】

人生の記録

2024年のはじめ──
俺はまだ、Yへの未練を引きずっていた。

もう「戻れる」とは思っていなかった。
彼女にとって俺は、“過去の人間”なのかもしれない。

けれど、完全に吹っ切るには早すぎた。
最後にもう一度だけ、自分の気持ちを伝えてみたかった。


……一方で、次の仕事も探さなければいけない。
けれど、「これがやりたい」と思える仕事は、まだ見つからなかった。

生きるために割り切って働く──
そんな日々も、たしかにあった。
けれど、俺はもう、それに納得できなかった。

“やりたいこと”なんて、なかった

退職後の迷走が、ようやく落ち着きを見せはじめたころ。
俺はYへの未練を引きずりつつも、自分の存在について深く考えはじめていた。

これまでの人生、なぜ俺はここまでうまくいっていないのか。
なぜこの年齢になっても、「やりたいこと」のヒントすら浮かんでこないのか。

そんなことを、ずっと考えていた。

転職サイトの適職診断は何度も試した。
「才能の見つけ方」みたいな本も買って、読み漁った。
でも、どれもしっくりこない。

そもそも──本音を言えば、働きたいなんて思っていなかった。
でも金のためには、生きるためには、仕方ない。

今後も、そんな“自分の意思とは関係ない義務感”で生きていくしかないのか。
社会の「こうあるべき」を妄信し、「ちゃんとやってます」って誰かにヘラヘラアピールしながら、
「これが大人だ」なんて、わかったふりをしながら生きていかないといけないのか。

そんなことばかりを、部屋の中でずっと考えていた。

自己分析という快楽

性格診断の沼

──「俺は、こういう人間なんだ」
そう言える“何か”が、ほしかった。

名乗れる何かを探す旅は、意外なところに行きついた。
それは、“たった12分でできる無料診断”だった。

16Personalities──
結果を読んだとき、俺は軽く震えた。
あまりにも、自分のことが書かれていたからだ。

そして、エニアグラム
これもまた、俺の深層を突いてくる。
性格の奥にある「動機」や「恐れ」まで言い当てられるような、不気味さと魅力。

INTP-T
タイプ5、ウイング4

それらの言葉が、俺を“説明してくれる肩書き”に思えた。

気づけば、似た診断を探し漁っていた。
無数のサイトを巡り、自分のタイプについて読み込んでいた。

それらは、麻薬のようだった。
理屈じゃない。“俺を知ってもらえた”という快感が、脳にじわじわと広がっていった。
誰にも認められなかった自分を、ようやく誰かが見つけてくれたような気がした。

この頃から、自己分析は“他者分析”にも向かい始めていた。
特に、Yの性格タイプ──これはずっと気になっていた。

MBTIでは、ESTJ-Tじゃないかと。
そして、エニアグラムでは8w9──「静かなる支配者」タイプ。

規律を重んじ、自分にも他人にも厳しく、感情を乱さない。
弱みを見せることはなく、優しさすら“冷静な対応”にすり替えてくる。
境界線は固く、守るためなら冷たくもなれる。

……そりゃあ、俺が惚れるわけだ。


INTPとESTJは相性が悪いだと?

そんなのは付き合ってからの話だろ。
…惚れるってのは、もっとどうしようもないものなんだ。

俺を説明してくれる言葉たち【INTP-T、5w4】

INTP-T
「論理学者型」「直感と内省の人間」「理屈っぽくて、社会には馴染みにくい」。

エニアグラムタイプ5、ウイング4
「観察者タイプの中でも、感受性と孤独を抱えた変わり者」「自分の世界に生きる」「“知ること”が生きる理由」。

PCやスマホの画面の前で、その説明を何度も読み返していた。
YouTubeやTikTokでは、関連する多くの動画が投稿されている。

「そうそう、そうなんだよw」
「わかるわかるwww」

気づけば、俺はひとりでブツブツいいながら、笑っていた。

誰にも言えなかった“自分の解説”が、ちゃんと文章になってそこにあった。
それがたまらなく嬉しかった。

他人に理解されなかったことを、言葉が代わりに説明してくれる。
その快感は、静かに、けれど確実に、俺を深みにいざなった。

(人間がこんなパターンにきっちりはまるわけがない。)

そんな考えは確かにあった。
だけど、高揚感がそれにまさった。


ただ、俺はまだ気づいていなかった。

それらの言葉は、すべて“借り物”

だということに。

……でも、ひとつだけ。
絶対に間違いない言葉がある。

「理屈っぽい」

Yにも、そしてこのあと俺の人生に舞い降りる人にも、同じことを言われた。
(……まあ、読んでるお前ならとっくに気づいてるかもしれないけどな💧)

それでも、その言葉は俺にとって大事な“観察結果”だった。
彼女たちは、間違いなく俺のことをちゃんと見てくれていたんだと思う。

希望は、どこにもなかった

一通りひととおり、自己分析をやり尽くして──
俺は、ようやく冷静になりはじめていた。

INTP? 内向型? 5w4?
確かに、どれもピンとくる。

……でも、

それが何だっていうんだ

適職を見ても、
「警備員」「清掃員」「トラックドライバー」──そんなものばかり

現実ってのは、所詮こういうものなんだ。

IT系? 研究員?
アラフォーの未経験なんて、相手にされるわけがない。
そもそも、“やりたいかどうか”なんて、もうわからなかった。

自己分析は、俺を説明してくれた。
でも、希望はくれなかった。

そんな中で、
俺は自分のことを、
間違ったスペックを持って生まれた人間」だと感じるようになっていた。

自分の性格そのものが、
この社会にとっては“不良品”みたいに思えた。

※これらの職業を否定するつもりはまったくない。
でも──俺は、そこに“自分の生きたい人生”を見つけられなかった。それだけだ。
もし気に障ったら、どうか許してほしい。

この社会は、外向型を基準にできている

俺は、外向型が嫌いだった

気づけば、俺の思考の矛先は、細かい性格分類より根本の問題、
外向型と内向型の違いに向かっていた。

そして、外向型の人間を憎むようになっていた。

そもそも、この社会はなんなん

学校だろうが、社会だろうが、重視されるのはコミュニケーション能力、行動力。
全て外向型のために作られたようなものじゃないか。

あいつらは、自然にしゃべる。
その場を支配する。
みんなに囲まれて笑ってる。
空気なんて読むんじゃなく、むしろ“作る側”にいる。

おまけに俺たち内向型が神経をすり減らす行為、つまり他者との交流がエネルギーになるだと?
ふざけるな!!!

あいつらには、俺たちがしてきた“我慢”が分からない。
黙って聞くことの疲労も、話しかけられることのストレスも、
何ひとつ、分かっていない

そして俺はいつも、

「もっと明るくしろ」
「もっと自己主張しろ」
「もっと、他人とうまくやれ」

──そんな“間違った正しさ”を押し付けられてきた。

嫉妬?

違う。
これは理不尽に対する怒りだ。


こんな人生、報いてやる価値もない…

この頃から俺は、「妄想の中の外向型」に罵詈雑言ばりぞうごんをぶつけることが増えていく。

自分だって悩むこともあるだと?

笑わせるな!
思考の質や深さがそもそも違う。

同列に語るんじゃねえよ!!

人生は運で決まる。
容姿、頭脳、気質、出生地…。

努力不足自己責任…?

そんなものはたまたま恵まれた人間が、「ただの偶然だった」と言われたくないがために作った逃げの言葉だ!

それでも黙っていればまだ許せるものの、
頑張ればお前にもできる…だと?

勘違いするなよ!?
こざかしい愚か者が!!!

――そんな怨念にも似た思考や感情が、このあとやってくる地獄の期間でさらに増幅し、1年ほど続くことになる。

・・・あろうことか、その憎しみの矛先は、かつてあれだけ大好きだったYにも向かうことになる。

※もちろん、俺は努力そのものを否定するつもりはない。
でも、それを“誰にでもできる魔法”のように語るのが、どうしても許せなかった。
それくらい、当時の俺は追い詰められていた。

配られたカードで…

――とはいえ、ただ暴走していたわけではない。

「人生とは、その上でどうするかが全て。」
「言っても仕方がないことに時間を割くのはナンセンス。」

…俺の理性が確かにそう告げている。

だけど気持ちがついてこない

部屋の中で何度も、

「暴走」(暴想と言い換えてもいい)
「冷静」
「ゲームに逃げる」

これらを繰り返していた。


そんな中で、わらにもすがりたかった俺は、本やネットコンテンツにも助けを求めた。

📖カミノユウキさんの『内向型人間だからうまくいく』
📖スーザン・ケインさんの『内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える』
📖ジル・チャンさんの『「静かな人の戦略書──騒がしすぎるこの世界で内向型が静かな力を発揮する法」』

井上ゆかりさんの内向型に特化したYouTube動画
👉🎬【仕事辞めたい】内向型は働き方を変えよう

すでに社会に違和感を覚え、行動している人の言葉は、俺を落ち着かせた。

そして、昔から頭の片隅にあった、世界的に有名な犬の言葉。

「YOU PLAY WITH THE CARDS YOU’RE DEALT..」
(配られたカードで勝負するしかないのさ。それがどんな意味であれ。)

「YOU PLAY WITH THE CARDS YOU’RE DEALT..」──アメリカのコミック『Peanuts』の一節より

そして俺は再び、新たな道を模索しようと考え始める。

ブログ再開とライターへの希望

第3の選択肢

診断も、適職リストも、全部が袋小路だった。
でも、俺にはまだ「第3の選択肢」が残されていた。
それが──フリーランスだった。

自分のペースで、自分の得意分野で。
人と関わる必要も最小限で、場所にも縛られない。
それは、内向型で感受性の強い俺にとって、理想的に思えた。

「ブログとライター。確かに俺の論理的思考力が活かせる。」

そう思った。

さらに、俺は妄想していた。

人前に立つのは苦手なくせに、我ながら笑わせてくれるような内容だった。

…だが、ちょうどその時、今まで感じたことのないような衝撃が走った。
雷に打たれたような・・・とでもいえばいいのか、そんな感覚だった。

そしてこれが俺の道だと確信したのを覚えている。
今にして思えば、あれは間違ってはいなかったんだろう・・・。

ブログの再開?

――2024年2月6日
俺はかつて放置したブログの更新を再開した。

サーバーも、ドメインも、ワードプレスの設定も──全部、あの頃のままだった。
まるで、もう一度始めるのを、ずっと待ってくれていたみたいだった。

俺は張り切っていた。
家族に「俺はネットで稼ぐ!」なんて大見栄おおみえを切り、SEOPREP法など、必要な勉強を開始した。

壁には、今後の方針を殴り書きにした紙を張り付け、気合は十分だった。

立派すぎる決意は…

しかしながら、俺は当然、壁にぶち当たることになる。

毎日更新すると決めたのはいいが、そもそも手段が目的になっているし、俺のディテールまでこだわる性格には合わない

だんだんと義務感が出てきて、PCに向かうのが億劫おっくうになっていった。

WEBライターの仕事にしても、ランサーズやクラウドワークスへの登録は済ませていた。
だが、2日かけて応募する文章を書いたものの、勇気が出ず、応募せずに期限が切れたり…なんてことがあった。

誰にも責められてないのに、逃げたような気がして、自己嫌悪だけが残った。

俺の“立派すぎる”決意は、静かに座礁しつつあった。

この頃、俺は“こじらせ記事”を書いていた

この頃、俺は“こじらせ記事”を書いていた。

内向型だの、気質だの、外向型社会だの。
今思えばちょっと痛々しいくらい、尖った記事をいくつか書いていた。

社会への違和感、恋愛への拒絶、自己分析の果ての怒り──
そんな感情を、文章にぶつけていた。

たとえばこの記事

まだまだ外向型社会への憎しみが消えない中で書いた記事。
自分に言い聞かせようとでもしたんだろうか。

……まあ、“こじらせ記事”ってことで。

いずれリライトするつもりだけど、それは新たに作って、当時の記事は墓標として残すつもりだ。
過去の俺よ──骨くらいは拾ってやる。

──ちなみにYに“最後のLINE”を送ったのも、ちょうどこの時期だった。

当時の俺が何を考えていたのか。
…それは別の記事で記そう。

👉 「38歳童貞の初恋~最後のLINE~(仮題)」、現在執筆中🖊

忍び寄る、本当の地獄

――そして、この頃から、俺の調子が崩れ始める。


俺は俺。
童貞だろうが、誇れるものがなかろうが関係ない。

一人でいるのは寂しいに決まっている?
笑わせるな。ずっとそうやって生きてきたんだ。

Yとの決別も終わったし、ここから再スタートを切る。
そして、まだ張れるくらいの意地なら持っている。


……そう思っていた。

だが、社会の偏見や、浴びせられてきた言葉
それらは、これまで俺を支えてきた信念に確実にダメージを蓄積させていた。
そして、いよいよそれが破壊される日が、やってくるのだ。


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