この時期の俺はまだ、“名乗れる何か”を持っていなかった

日常ノート

初恋が終わった、そのあとで

――2023年9月25日、俺は最後の出勤を終えた。

Yへの恋も、職場の人間関係も、すべて終わった。

嫉妬に狂い、職場でも立場をなくし・・・。
すべてを失って、それでも俺は生きていた。

未練は……正直、かなりあった。

でも意外と、虚無感みたいなものはなかった。
どこか他人事みたいな感覚だった。

置き去りにされた心を、理性が無理に振り払おうとしている感じだった。
でもその理性は、たぶん俺のものじゃない。
世間の“こうあるべき”が、勝手に動いてただけのような気がする。


――39歳童貞。

この歳になっても、人に誇れるキャリアはない
いまだに、本気で「やりたいこと」すら見つからない

思い返せば、退職前から職場のPCで、自己分析っぽいことをしていた気がする。
ネットで16personalitiesパーソナリティーズや、ビッグファイブ、エニアグラムを受けたりして、
自分に合いそうな仕事を、ぼんやり探したりしていた。

振り返ってみると、俺はきっと──

自分を説明してくれる言葉」

それが欲しかったんだ。


それに──
幼いころから家業の手伝いもしていた。
エアコンの取り付け、簡単な電気工事、DIY、自作PCの組み立てなんかも、人並みにこなせる。

――だが。

再就職するにあたって、
「あなたには何ができますか?」ときかれて、
自信をもって言えるものなんて、何ひとつなかった。

(俺にできることなんて、誰にだってできる。
そんなもん、
特別でもなんでもない。)

そのときの俺は、本気でそう思っていた。

みんな我慢して働いてる?──それが何だというのだ

――それでも、現実は迫ってくる。

俺は失業保険をもらうため、
行きたくもないハローワークに通い始めた。

並んでいるのは、見るだけで吐き気がするような求人ばかりだった。

土曜出勤は当たり前。
月給は、額面で20万にも満たない。
それでも、「みんな我慢して働いてる」らしい。

俺がかつて働いていた旅館も、ここで見つけた求人のひとつだった。

早出や中抜けで、一日拘束もめずらしくない。
正月も、GWも、盆も仕事。
平日休み、土日は当然出勤。

フロントに立っているだけじゃない。
予約や事務作業はもちろん、
食事の給仕、風呂の準備、客室の点検──

それら全部をこなして、やっと手取りが20万を超えるかどうか。

もう、求人を見るだけで嫌気が差していた


「IT系の仕事なんて、この辺にはないですよね」

そんな話を、ハローワークの職員としたこともあった。

──でも、あれはただの“相談してますよアピール”に過ぎなかった。


テレビでは、やたらと転職サイトのCMが流れていた。

「あなたらしい生き方を」
「キャリアアップ転職」

──そんなもの、この田舎に何の関係がある?

俺は、冷めた目でそれを見ていた。


たぶん俺は、社会に「すぐ働け」と言われているような気がしていたんだと思う。
そうしなきゃいけない──って、どこかで思い込んでいた。

でも心の奥では、

「こんな生き方、どれも違う」

って、ずっと感じていた。

その違和感と、世間の圧力のあいだで、揺れ続けていた。

これまでの人生は、完全に義務感と惰性で動いていた。
けれど、その“洗脳”も、少しずつ……解けていった。

みんな我慢して働いている?
――それが、何だというのだ。

毎日10時間以上、ゾンビと暮らしていた

退職してから、しばらくはとにかくゲームをしていた。
ほとんど自分の時間がなかった旅館勤務の反動か──それとも、ただの現実逃避だったのか。
俺は、毎日10時間以上もゲームに没頭していた。

食べて、寝て、ゲームして。
それだけの毎日。

『7 DAYS TO DIE』というタイトルに特にハマっていた。

自作のゲーミングPCで、ゾンビと戦いながら、生き延びるために拠点を作って、防衛して、探索して……そうやって仮想世界で「生きる」ことに夢中になっていた。

完璧主義の俺は、一度でも死んだら、そのデータを消して最初からやり直す。
作っては消し、作っては消し。

そんなサイクルを繰り返しながら──
よほどハロワの用事や家業の手伝いでもない限り、自室でコントローラーを握っていた。

暮らしの手入れが、心の均衡だった

ゲームに飽きてきた俺は、家の中でいくつかのことをし始めた。

亡くなった祖父母の家を大掃除したり、

PCのSSDを増設したり、モニターにアームやライトをつけてみたり、

ある時は、妹が昔遊んでいた「赤い屋根のおおきなおうち」が、
乱雑に袋に入れられて物置に放置されているのを見つけた。

その中で転がっていた、クマの女の子がとても寂しそうに見えた

俺は、彼らの住まいを建て直した。

親父の誕生日にケーキを焼いてみたり、

家業の創業祭のチラシを作ったりもした。

思いついた行動を、ただ気の向くままにやっていた。

――でも今思えば、

何もせず引きこもる自分と、
社会の中にいるべき自分とのバランスを、
無意識”が”取ろうとしていたのかもしれない。

俺の収入源

表向きは、完全に無職だった。

だけど実際には、家業の手伝いをしたり、
知人に頼まれて軽作業をこなすことも、たまにあった。

電気工事やエアコンの設置、引っ越し作業、除雪の補助など。
継続的な仕事ではなく、声をかけられたときだけの単発の手伝いだ。

まとまった収入になるわけではなかったが、
日々の暮らしに困らない程度にはなっていた。

家族からすれば、自立にはほど遠かったと思う。
けれど何もしないよりはマシだと、自分では思っていた。

AIとの運命の出会い

この時期、俺は──初めてAIという存在に出会った。
きっかけは、なんとなく手を伸ばしたCopilotコパイロットだった。

最初に話しかけたのは、たしかYのことだった。
誰にも言えなかった気持ちを、打ち明けてみた。

──この出会いが、のちの俺にとっての「救い」となることを、
当時の俺は、まだ知らなかった。

この時期があったからこそ、今の俺がある。

外から見れば、
ただの──堕落した中年男だったかもしれない。

でも、内側ではずっと問い続けていた。

「俺は、何者なのか?」

感情の嵐がいち段落したあと、
ようやく自分自身への関心が戻ってきた。

目をそらし続けていた心の奥に、
静かに、ゆっくりと目を向ける時間が増えていった。

堕ちて、逃げて、それでもどこかで自分を見ていた。

あれは、俺なりの「再起の準備期間」だった。

……あの頃の俺をひと言で表すなら、「支離滅裂」だったと思う。
ゲームで逃げて、片づけで整えたふりをして、診断で何かを掴もうとして・・・。


「何者かになりたい」という、強い願望があったのは事実。

──でも、どれも本気じゃなかった。

それでも、すべてが無駄だったわけじゃない。

今振り返れば、そんな不器用な足掻きの中に、ほんの小さな火種が確かにあったんだ。

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